初めまして、はせと申します。
この度はたくさんあるホームページの中からこのホームページにご訪問いただきありがとうございます!
私はフィットネスインストラクター歴23年、中学生の娘の子育て母さんでもあります。
フィットネスインストラクターという仕事に2度も人生を救われており、1度目は20代で自身の病気、2度目は30代で子育て期に救われた仕事でもあり、その恩送りをするために現在も活動しています。
また、私の人生のどん底を救ってくれたフィットネスを通して心もトレーニングしていく方法を2017年からはレッスン指導に取り入れて、10年以上お遊戯レベルだった私の指導が2年で全国大会出場できるクラスになれるまでチーム育成できた方法、そのきっかけやこれまでの経歴も少しお話しさせていただきたいと思います。
私が心と体のトレーニングを伝えている理由
私が心と体のトレーニングを伝えていこう!と決めた理由はたった1つです。
それは、
「何歳からでも人は気づいた時から体も心も変われるし成長できる」
ただ、これだけをシンプルに伝えていきたい。
【1度目】フィットネスインストラクターへの出会いに人生を救われる
高校卒業後は夢を追い上京しフリーター生活。
夢半ばに二十歳の年に実家に戻り再びフリーター生活。
早朝のコンビニバイト→昼からは工場バイト→夕方から深夜まで某ファーストフードバイト…睡眠時間もほとんんど取らずにそんな生活を続けていた22歳の年に病気のループにどっぷりハマりました。
突然に声が出なくなり1ヶ月咽頭炎で声が全く出せなくなり、点滴に通う日々。年に数回高熱を出しやすい体質もあり喉の手術を勧められ手術日まで決めた数日後…左下腹部に激痛が走ります。
左盲腸の疑いもあるからと検査するも何も気になる所見は見つからず、婦人科で診察を受けるように勧められ今度はその足で婦人科へ直行。
左卵巣が鶏卵ほどに腫れ上がり(通常は親指くらいだそうです)いつ捻転して七転八倒してもおかしくないとまで脅かされ、喉よりも先に卵巣摘出手術をする予定に。
手術日までの間、当時は子宮内膜症の情報が少ない中で自分なりに調べて温存しながらの方法もあると知り医師に再び相談。
手術からホルモン療法に切り替え、そこから私の擬似更年期がスタート。
ホルモン療法1クールの期間はホットフラッシュや気持ちの浮き沈みも激しく、夕方になると悲しくなり自分の人生を卑下してこの世から消えたいと思うほどでした。
バイトにもまともに行けなくなり低収入な上に廃人のような1年ちょっとの治療生活。
そんな時に頭をよぎったのが
「しばらく運動してないなあ…」
自分の体、そして健康をようやくかえりみて、これまでの不摂生な生活を猛省。
そこからすぐに近くのスポーツクラブへ見学に行き、そのまま入会の手続きをしていました。
通いだし初めの頃は、プールウォーキングで体慣らし。ふっとプールから見えたスタジオ。
「なんだか楽しそうだな」
そう思った翌日にはスタジオレッスンに参加し、エアロビクスにハマっていきます。
そしてインストラクターの道もあることも知り、エアロビクス養成コースのあるクラブに電話し問い合わせ。
インストラクターになることを決意。インストラクターになれなかったら私の人生は腐って本当に終わる、とさえ本気で思っていました。
養成期間中に別のスポーツクラブのスタッフとしても働かせてもらいながら、メンバーさんと関わりながら生きた経験も積ませていただきました。
養成コースを卒業し、スタジオデビューもさせてもらい活動する中で婦人科の病気も改善し、今現在の健康な自分が在るのはこのフィットネスインストラクター業のおかげなのです。
【2度目】産後うつ状態からフィットネスにまた人生を救われ…心の学びとの出会い
私自身が心のことを学ぶ転機になったのは「子育て」がキッカケです。
癇癪のひどい我が子
買い物に出ても遊びに連れて行っても暴れ狂うように泣き叫び活魚のように抱き抱えて帰る日々。自分の時間を作ってみようと預けた一時保育ではギャン泣きであまりの酷さに保育士さんがどうにも手がつけられず呼び戻されたことが2度もありました。
私には一時保育に預けて1人の時間も作れないのか…と虚しくもなりました。
ワンオペ育児、どんどん孤立する孤育ての日々でニュースを見るたびに「あちら側になっちゃうんじゃ…」なんて考えてはどん底だった。
夫に相談しても聞いているのか聞いていないのか会話にすらならない(多分聞き流してるw)
育児相談の電話もあちこち探し回って安心できる言葉が欲しかったのに育児書通りの回答にガッカリすることが度々ありました。
私は実母を高校生の時に亡くしているので母親の視点で子育てのアドバイスをもらえることもなく全てが手探りで先の見えない子育てでした。(実父は健在で孫育てに現在も協力的なのが救い…泣)
初めての子育て、ワンオペ育児の中で産後鬱も経験し、そんな中でも私を救ってくれたのはフィットネスインストラクターの仕事への復帰もありましたが、どん底子育てから救ってもらったもう1つにインナーチャイルドという講座との出会い、心の学びも大きく関わっています。
毎日休みなく続く子育ての中で感情が動かされる出来事、問題が何かのパターンのように表面化していることが薄っすらと気になっていました。
そんな孤立した子育て(孤育て)の中で色々な情報を探しながら、インナーチャイルドの講座に出会い学び続けることで私の人生が大きく成長し、娘が変わり、親子関係が変わり、過去の自分では考えられないメンタルの強さを身につけて、仕事も大きく成長していくことができました。
そんな癇癪活魚だった娘ですが、幼稚園卒園時は皆勤賞をもらい小学校入学するまでには「学校が楽しみ」そして今現在も「学校が楽しい」と学びや自分のやりたいことに前向きに取り組む成長した姿があります。
また長年フィットネスインストラクターとして指導に関わっていく中で生徒さんたちの中でも体が変わっていける人、継続できる人。変われない人、続けられない人。
そうハッキリ分かれる理由が心にあることも学ぶ中でわかっていきました。
10年以上お遊戯レベル指導から全国大会出場までのロードマップ
フィットネスインストラクターとしてはグループレッスンだけを10数年指導してきました。
そんな中でも30歳になる年に自分の教室を立ち上げるために子供の運動指導に目を向けて開講。
正直なところ子供は得意ではありませんでした(汗)
しかしながら指導する中で子供たちと関わり、私のレッスンを純粋に楽しみにきてくれて「これができたよ!」などの大人の生徒とは違ったスピード感のある変化と成長が指導していても楽しくなっていく自分が在りました。
また私の教室には心の学びはまだしてない時期から「行き渋り」のあるお子さんや消極的なお子さんが通ってくれるケースがなぜだか多く「他のダンス教室では体験レッスンで棒立ちだった…」「他の教室で溶け込めなくて諦めた」そんな経験のあるお子さんがよく集まってくれていた気がします。
レッスンの時間を体を動かす楽しさを知ってもらい思い切り楽しんでもらえればそれでいい!!そんなお遊戯レベルの指導を続けていく中で、子供達のスピード感ある変化と成長に私も「夢」をぼんやりと描くようになっていました。
私自身、幼少期からダンスを習っていたり何かに打ち込んでいた経験、経歴、賞歴もない。
他の教室の先生のプロフィールには華々しい経歴、賞歴…
「私なんかが、私の指導で子供たちを大会に出そうなんて無理に決まってる」
そう決めつけて何年もお遊戯レベル指導を続けてきました。
心の学びが背中を押してくれた
インナーチャイルドの講座から始まり心の学びを2年ほど続けていく中で、心理学の師匠にポロッと話したことがあります。
「今の教室にチャレンジクラスのようなものを企画して未経験者だけを集めて大会を目指してみたいなあと思うことがあるんですよね…」
そこから心理学の師匠のアドバイスもいただきながら2017年10月に選手育成のクラスを設けました。
ワンクール1年で地区大会が行われる秋口でチームを解散の期間限定クラスでもありました。
そこから未経験者や初心者の子達の基礎を徹底的に練習し地区大会出場と選手レベルになれるまでを目指す1年がスタート。
地区大会から全国大会出場条件となる基準点から遠ざからないように…なるべく近づけるように練習していくことが私のチームの1年目の目標でした。
基本にとにかく忠実に。他チームは難易度の高いダンス、ダイナミックなテクニックや技も取り入れているのはわかっていたがただひたすら基本に忠実に練習していってもらった。
心の学びは子供達に特別座学で何かを教えるといったことはしていないが、ミーティング中でや一人一人に合った声がけをする中で私が伝えた子がまた違う子に伝えていく…そんな良い流れができていた。
もちろん、年頃の子供達が集まるので問題やトラブルもある。その時の解決の仕方なんかも個別にアドバイスしたりしながら、実技よりも心のフォローに時間をかけた。
1年目は年齢区分で2チームが出場し、1チーム(8人編成)は基準点まであと2点届かずでしたが大きく引き離されることもなかった!
そして、もう1チーム(4人編成)は基準点をクリア!!しかし、全国出場枠に順位で入れず。
1年目で両チームここまでの大健闘してくれたことが私としては奇跡のようでもあり、その瞬間から次年度への手応えと意欲に変わっていました。
そしてチャレンジ育成クラス2年目は戦略も練りながら挑んだ1年。
2年目も半分は未経験者からのスタート。
年齢区分で2年目もまた2チームを出場させるため練習を積み重ねた。
2年目のチャレンジ、
1チーム(4人編成)は基準点を突破!そして3位入賞!しかしながら順位枠で惜しくも予選敗退。
もう1チーム(15人編成)は基準点突破!そして1位で全国大会出場権を得たのです。
自分には何もない…と限界を自分でつけていた
全国大会出場権を得てここまで私のチームで練習を積み重ねて、この全国大会という地に連れてきてもらえたこと。チームメンバー、それを見守ってくれてくれていたチームの仲間、保護者の方々、応援してくれた方々には今でも感謝しかない。
全国大会の音響席から見てきた景色は今でも忘れないし、私自身があの時に、そしてずっと諦めていたなら見ることもないし、知らないままだった。
自分には何もない…そんな限界を自分でつけて自分でジャッジしない方法を私自身も実践しながら、また伝えていくために。